トビリシ、ジョージアの歴史と現実に眩暈を覚える②
トビリシから帰国してしばらくたったある日、私のメールに、
「Come back to your own apartment in Batumi」という怪しげな不動産売り込みの文章が届きました。まだ、トビリシ自体も消化していないのに、バツーミと言われても、全くピンときません。しかしながら、何となく黒海沿岸で保養地ではあるようです。クロアチアのドブロブニクのアパートオーナーさんが、「次はどこへ行くんだい」という質問をしてくれました。「ジョージア」「グルジア」と答えると、ロシアか?という言葉が出てきました。現ジョージア政府は親米で、西欧路線ですが、地勢的にはロシアに従属してきたコーカサスではあります。
我々が泊まった安ホテルの朝飯も、ロシア式というか、割に質実剛健というか、直球だけのメニューでした。それでも十分、おいしくいただけました。
地下鉄もロシア時代に造られた路線で、飾りなどは質素ですが、モーターだけは強力運転という感じでした。
モンゴル帝国やチムール王国であれば、この遠いコーカサス地域も蹂躙できたのでしょうが、並みの民族では、とてもそこまではいきません。さすがに、旧日本軍をもってしても、遠い世界だったと思います。行けてもシベリア抑留の果てまでという感じでしょうか。